高見知英のゲームの話しかしないポッドキャスト、第74回をお届けします。
今回は、定期的にSNSなどで話題になる「ゲーム禁止の家庭」についてのお話です。 そこから、自分自身の経験や、今の家庭とゲームの関係性について考えてみました。
「ゲーム禁止」の背景にあるもの
きっかけは、ある新聞への投書やX(旧Twitter)での盛り上がりでした。 「うちはゲームを禁止していました」という話。この手の話は月に一度は目にするような気がします。それだけ多かった という意味でもあるのでしょう。
私の場合は、これまで何度かお話ししている通り、ゲームを一切禁止されませんでした。 というより、母の方がゲームにハマっていたんです。
母が買ったゲームのお下がりを私が遊ぶ、というスタイルが基本でした。 「宿題やったの?」と言われたことはありませんが、「ゲームやらないの?」と言われたことはあるくらいです。
「嫌いだから禁止」だけではない理由
一方で、地域活動の場である「縁乃庭」などで親御さんの話を聞くと、また違った側面が見えてきます。
ゲームを制限している理由として、「親がサポートに入らなければならないから」という声があったんです。
アップデートの処理や、兄弟・姉妹での喧嘩の仲裁……。 そういったことに割く時間が取れないから、今は買い与えないという選択肢。 これは、戦隊モノのおもちゃが「組み立てに親の手が必要だから」と敬遠される話にも似ているな、と感じました。
単なる「食わず嫌い」だけではなく、家庭ごとの切実な事情があるという視点は、持っておきたいなと思います。
ゲームを「体験」できる場所の必要性
だからこそ、家庭の外でゲームに触れられる場所がもっとあってもいいのかな、と思うんです。
縁乃庭のような場所で、RPGやシミュレーションゲームをじっくり遊んだり、大人と子どもがプレイスキルを伝承しあったり……。 「この場面ではこう考えたほうがいいよ」といったアドバイスが、将棋の対局のように自然に行われる風景があってもいいですよね。
ゲームは、震災からの復興や異国の暮らしなど、自分一人ではできない「疑似体験」をさせてくれる素晴らしいメディアです。 それを「自分自身の選択」で進めていく体験は、他のメディアとはまた違う価値があるはずです。
繋がり、話し合える場を
大切なのは、ゲームに対してポジティブな意見もネガティブな意見も、フラットに交わし合える場があることなのかなと思います。
「このゲームはうちの子にやらせても大丈夫かな?」といった相談が日常的にできるような、そんな繋がりがもっと増えていくといいな、なんて思ったりしています……。
今回のエピソードの詳細は、ぜひLISTENで聴いてみてください。
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