ちえラジChat、木曜日ですね。 今回はフリートークということで、「教育環境の上流は大人」というテーマでお話ししてみました。
先日、「教育系ポッドキャストの日」に合わせて「初めての学び」というお話をしたのですが、そのあたりの振り返りも含めて、最近感じている違和感について触れてみたいと思います。
学びの文脈と「子ども」
自分自身、NPOの活動やプログラミングの授業などを通じて、教育関係の方とお話ししたり、教育系のポッドキャストを聴いたりする機会がよくあります。
子育てのラジオ「Teacher Teacher」さんや、笠原さんのデジタル時代の国語教育を語ろうなど、興味深い発信もたくさんありますね。
ただ、こうした「学び」の文脈って、どうしても「子ども」とセットで語られることが多いな、と感じるんです。もちろん私の視点が学校教育に向いているのでよりそれが強調されて見えてしまう という側面もあるのだとは思いますが。
生涯学習は「誰のため」のものか
「生涯学習」という言葉もありますが、これがどうしても「老後の楽しみ」とか「認知症予防」といった、高齢者向けの文脈で語られがちなのも、少し気になっています。
自分としては、生涯学習は決してそういうものだけではないと思っているんです。 むしろ、今まさに社会で活動している現役世代こそ、常に学び、学び直せる機会が必要なのではないかな、と。
「学ばなければならない」と強く言うつもりはありませんが、大人が学び続ける姿勢を持つことは、とても大切なことだと思うんです。
大人が「上流」で、子どもが「下流」
学びの環境を川の流れに例えるなら、大人の環境は「上流」に位置するものなのかな、と考えています。 そして、子どもの学びはその「下流」にある。
上流の環境が整っていないのに、下流だけをいくら改善しようとしても、結局は元に戻ってしまうのではないでしょうか。
例えば、大人のパソコン活用環境やリテラシーが低いままだと、子どもがいくら学校で頑張っても、家で活用する環境が整わなかったりします。 「テザリングすればいいじゃない」なんて言えるのは、環境が整っていて自由にできるお金もある大人側の理屈だったりするので。
子どもたちが十分に学べる環境を作るためにも、まずはその「上流」である大人の学びの環境を整えること、学びの必要性を喚起すること。 そこを軽視してはいけないのではないかな、と強く感じています。
明日は金曜日。週替わりテーマの「AI」についてお話しする予定です。 それでは、また。
エピソードを聴く: listen.style
関連リンク: * 知らないということを知った日々 - LISTEN